錦織圭、約1年8ヵ月ぶりの大会で優勝とATP世界ランキング返咲き 492位


こんにちは! Tabby(@Tabby_blog)です。

テニス界のまた朗報です。怪我から復帰した錦織圭選手が男子テニスのカリビアン・オープンで優勝を果たしました。

世界ランキングは2022年10月17日付で消滅し、再起をかけて臨んだ大会でした。

大会の等級は4段階あり、カリビアンオープンは「下から2番目のATPチャレンジャーレベル」です。

世界ランキングのポイントが取れる大会は、次の4大会です。

大 会 等 級

・4大大会(全豪オープン・全仏オープン・ウインブルドン・全米オープン)

・ATP(プロテニス選手協会)ツアー

ATPチャレンジャー

・ITF(国際テニス連盟)ワールドツアー

このカリビアンオープンの賞金総額は8万ドル(約1,120万円)で、優勝者が得られるポイントは75点です。

優勝した錦織選手の獲得賞金は、150万円となります。

ちなみに23’ 6月上旬に実施された4大大会の全仏オープンの賞金総額は4,960万ユーロ(約73億9,000万円)で、優勝のポイントは2000点。雲の上のレベルです。

錦織が世界ランキングから消滅したのは今回が初めてではなく、戦線離脱しても復帰してきたこれまでの活躍を思うと、今後の活躍が楽しみです。

このブログでは、今回のカリビアンオープンの活躍と怪我との闘いなどをご紹介致します。

https://www.youtube.com/watch?v=6BWW5mUuFTE
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目次

カリビアンオープン決勝

対戦相手は「世界ランク1118位のM・ゼン選手」を6-2, 7-5のストレートで下しました。

錦織選手は33歳で、昨年1月に受けた股関節の手術と度重なる足首の負傷により、ツアーを長期離脱していました。

しかし、今回の大会では1回戦から順調に勝ち進み、決勝に進出。試合では疲労を感じさせず、ゼン選手に対して優れたパフォーマンスを見せ、最終的にはチャンピオンシップポイントをものにしました。

特に、錦織選手はゼン選手のセカンドサービス時には積極的なショットを放ち、一方でサービスゲームでは疲労を考慮し、サーブ&ボレーやサービスからの3球目で鋭いショットを放ちポイントに繋げるなどの効率的なプレースタイルを見せました。

この勝利は錦織選手にとって、2018年1月のRBCテニスチャンピオンシップス・ダラス(アメリカ/ダラス、室内ハード、ATPチャレンジャー)以来約5年5ヵ月ぶり、公式戦でのタイトル獲得は2019年1月のブリスベン国際(オーストラリア/ブリスベン、ハード、ATP250)以来約4年5か月ぶりとなりました。

試合後、錦織選手に元世界ランク1位のA・マレー選手からは祝福の言葉が寄せられました。

一方、19歳のゼン選手は昨年のウインブルドンでのジュニア部門準優勝者で、今大会が自身初のチャレンジャー大会決勝でしたが、優勝は逃しました。経験不足が露呈した試合でしたが、彼の成長と将来の活躍が期待されています。

今後の予定(23年7月以降)

錦織圭選手は、7月3日に開幕するクランブルック・テニス・クラシック(米国)などの下部大会2試合に出場し、同月24日からのアトランタ・オープンでATPツアーに復帰します。

その後は全米オープンへの出場を目指しています。

4大大会の本戦には予選を経ずに出場するためには一定の世界ランクが必要で、通常は100位前後が求められます。

錦織選手は最近の大会で75ポイントを獲得しましたが、現在のランキングは492位です。ただし、彼はワイルドカードや公傷制度を利用することができます。

ワイルドカードはツアー本戦6回分の保有枠があり、公傷制度では復帰前の平均順位に基づく公傷ランキングが48位であったことから、復帰後1年以内に最大12大会までエントリーが可能です。

4大大会への出場は1回のみ許されています。

錦織のケガとの闘い

右手首

17年8月に全米前哨戦の練習中に右手首尺側手根伸筋腱(けん)を脱臼

右 肘

19年10月に右肘骨棘(こっきょく)を取り除く手術を受ける。

コロナ

20年8月に新型コロナウイルスに感染し、復帰予定の全米出場を断念。同9月にジェネラリオープン(オーストリア)で約1年ぶりに実戦復帰。  

右 肩

20年9月の全仏オープン2回戦で右肩を負傷。21年2月のATPカップで126日ぶりに公式戦復帰

股関節

21年9月に左股関節唇損傷の痛みが再発し、同10月を最後に実戦から離れ22年1月、患部を手術

右足首

22年9月に右足首を捻挫。長期離脱となり、世界ランキングは10月にランク外に。最高位は15年2月の4位。23年2月中旬、5月末と下部ツアーにエントリーも復帰を延期

愛用のラケット&シューズ

テニスラケット

Wilson ULTRA TOUR 95CV

ウィルソン ウルトラ ツアー 95CV は、2022年に発売された最新モデルです。

ウルトラ ツアー 95CV は、95平方インチのフェイスサイズと16×19のストリングパターンを採用した、コントロール重視のモデルです。

ヘッドライトバランスとミディアムウェイトの重量により、操作性とパワーを両立しています。

また、ストリングスエリアの素材に新開発の「エア・ケイ」を採用することで、打球感とスピン性能を向上させています。

上級者から中級者まで幅広いレベルのプレーヤーにおすすめのモデルで、コントロール重視のプレーヤーや、スピン性能の高いボールを打ちたいプレーヤーに最適です。

主なスペックは以下の通りです。

  • フェイスサイズ:95平方インチ
  • ストリングパターン:16×19
  • バランス:ヘッドライト
  • 重 量:305g
  • スイングウェイト:320g
  • フレーム厚:22mm
  • ストリングパターン:16×19
  • 素 材:カーボン、グラファイト、エア・ケイ

ウルトラ ツアー 95CV は、ウィルソンの人気モデル「ウルトラ ツアー 95」の進化版で、コントロール性能とスピン性能を向上させ、より使いやすいラケットに仕上がっています。

テニスシューズ

ナイキコート エア ズーム ヴェイパー X

ナイキ エアズーム ヴェイパーは、錦織圭選手が使用しているテニスシューズで、2006年に発売された初代モデルから、2023年現在で15代目まで発売されています。

エアズーム ヴェイパーの特徴は、軽量性とクッション性です。ナイキ独自のズームエアユニットをミッドソールに搭載することで、優れたクッション性と反発力を発揮します。

また、アッパーにはメッシュ素材を採用することで、軽量性と通気性を向上させています。

クッション性と反発力を求めるプレーヤーに最適なシューズで、かつ軽量性と通気性も優れているため、長時間のプレーでも疲れにくくなっています。

錦織圭選手をはじめ、多くのプロテニスプレーヤーが使用しているシューズです。優れた性能とデザインで、世界中のテニスファンに愛されています。

テニスキャリア

男子プロテニス協会(ATP)の世界ランキング自己最高位4位を記録し、日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たすという素晴らしい成績を残しています。

また、彼はATPツアーで日本人史上最多の12度の優勝を達成しました。これらの成功は、彼が数々の怪我と闘いながらも、常に最高のパフォーマンスを追求し続けた結果です。

スポンサー契約とその収入

スポンサー契約

卓越したパフォーマンスと絶えぬ努力は、彼のテニスキャリアを確固たるものにしています。

しかし、キャリアを後押ししているのは彼自身だけではありません。錦織選手の成功には、彼とスポンサー契約を結んでいる18社もの企業が大いに貢献しています。

以下は、錦織選手と契約を結んでいる主な企業の一部です。

契約企業

日清食品(NISSIN)
・ユニクロ(UNIQLO)
・ウィルソン(WILSON)
・ナイキ(NIKE)
・ジャガーランド・ローバー・ジャパン(JAGUAR)
・ジャックス(JACCS)
・リクシル(LIXIL)
・日本航空(JAL)
・NTT

収 入

契約企業は様々な分野で活動しており、これらの企業からのスポンサーシップが錦織選手の活動を支えています。

具体的な契約金額は公には明らかにされていませんが、いくつかの契約については金額の推測がなされています。

例えば、ユニクロの年間契約金は推定で12億円、ウィルソンの年間契約金は推定で2.5億円、JALの契約金は5年で推定15億円(+インセンティブ)とされています。

錦織選手のスポンサーシップ収入は、テニス選手としては非常に高額な部類に入ります。

フォーブスの2020年の「世界中のアスリートが得た収入」ランキングです。

世界中のアスリートが得た収入

1位  ロジャー・フェデラー選手

23位 ノバク・ジョコビッチ選手

27位 ラファエル・ナダル選手

29位 大坂なおみ選手(女子最高位)

33位 セリーナ・ウイリアムズ選手

40位 錦織圭選手

プロテニスプレーヤーになるまでの経歴と経緯

錦織圭選手は、1989年12月29日に島根県松江市で生まれました。(現在の居住地:アメリカ フロリダ州)

彼がテニスを始めたのは4歳の時で、両親の影響でこのスポーツを始め、父親はエンジニアであり、自宅で錦織選手にテニスを教えました。

その後、彼は小学生の時に地元のテニス大会で数々の優勝を遂げ、その才能を見初められました。

彼が14歳の時、全米テニス協会のスカウトの目に留まり、全米テニス協会の育成プログラムに参加するために、アメリカ・フロリダ州のIMGアカデミーに留学します。

ここで、錦織選手は世界のトッププレーヤーとなるための技術と経験を積み上げました。

2006年:錦織選手は16歳でプロデビュー。

2007年:全日本テニス選手権で優勝

2008年:デルレイビーチ国際テニス選手権・優勝ATPツアータイトルを獲得) 日本人初の快挙となりました。

国内外から注目を浴びます。

その後も絶えず技術を磨き、試合を重ねる中で、彼は世界ランキングをどんどん上げていきます。

特に2014年の全米オープンでは、彼は日本人として初めてグランドスラムのシングルスで決勝に進出し、世界4位のランキングを獲得。日本のテニス界に大きな希望をもたらしました。

その後も彼の活躍は続き、全豪オープンやウィンブルドン、全仏オープンなど、様々な大会で素晴らしいパフォーマンスを披露しています。

錦織圭選手の見事な復帰、ここまで記事をお読みいただき誠にありがとうございました。

引き続き錦織圭選手への温かい応援とともに、彼の輝かしい成績を見守っていきましょう。

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